日常

2017年度前期授業終了

非常勤講師のお仕事,前期全15回すべて終了!
研究は続くので夏休みとは行かないけど,ひとまず仕事はひと段落だ.

担当したのは実験の授業で,数回に分けて提出される実験レポートの担当学生は固定.
なので,回を重ねるごとに注意したことをしっかりと吸収していってくれるのを見ることができて,やりがいがあった.
周りの先生のサポートもあり,仕事内容にもすぐ慣れることができたし,前期は非常に充実していたと思う.

なにより,良い学生に恵まれた.
第二回目の授業の時,ほぼすべての学生が予習の実験ノートをつくってきたのには,えらく感動した.
それはガイダンスで言われていたことだから,実験ノートを書いてくるのは当たり前といえば当たり前だ.
しかし,塾講師バイト時代に「宿題をやってこない子」に慣れすぎていた私は,
およそ60余人が皆,指示されたことを当たり前にやってくる光景に衝撃を受けた.
そして,自分も「決して手を抜かず,本気でやろう」と決意したのであった.

 

当たり前のことを,当たり前にできる.
それは,誰でもできる簡単なことではない.
きっと,武器になる貴重な能力だ.

彼らには,その武器を大切に磨き続けてほしいし,
教えたことをいつか少しでも役立ててほしいし,
不真面目の仕方も適度に身につけていってほしいと思う.

 

さて,「宿題をやってこない子」は完全にダメかというと,そうでもないと思う.宿題をやろうがやるまいが,大切な教え子だ.私の場合,以下のように考えている.

まず,「宿題をやってこない」のなかに悪意は存在しない.これは非常に重要だ.先生を困らせるために宿題をやってこない,というわけではない.
とはいえ,悪意がないから許される問題でもない.多くの場合,塾の出資者である親は,塾講師が親に代わって子供を「宿題をやってくる人間」に矯正することを期待している.だから,仕事として向き合わなければならないし,対策も考える.
大事なのは,その時に「悪意」で返さないことだ.つまり,無視して突き放したり,ぶん殴ってやらせたり,苦痛を強いるだけの追加課題を与えたりしない.
「宿題をやってこない」を「悪意」だと決めつけて「悪意」で対処しても,いやな気持ちが双方に残るうえ,生産的でもない.
思えば,塾講師の仲間たちは,みな生徒ひとりひとりに合わせた距離感で向き合い続けていた.「あの生徒は嫌いだから放置」みたいなクソ講師は,ひとりもいなかった.
そういう環境で自分も講師として鍛えられたわけだ.
実際,どう対処するかは生徒それぞれで,自分が完璧な対応をできたかというと自信はない.
しかし,誰かにものを教えるとき,絶対に見捨てない,それだけは守るようにしてきたつもりだ.

 

教えるの語源は「愛しむ」
誰にも得手不得手がある
絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない

吉田松陰

 

故郷の大先輩,松陰先生のことばにこうあった.
私は教える側の人間としてはまだまだ未熟だ.絶望もあるだろう.しかし,これまでと今とこれからの経験が,自分自身を成長させてくれる.成長しなければならない.そこに志あるかぎり.