現在,2019年12月.
2019年の振り返りを書こうと思ったが,そもそも更新が2018年4月で止まっている.
そこで,2018年度の研究活動を先に備忘録的にまとめて置くことにした.
4月
学振特別研究員DC2としての生活がスタート.
4月の大きなイベントは,すでに投稿した,SEEDSプログラム講師.
5月
学振PDの申請書類の準備に追われていた.
6月
秋の国際学会に向けて,測定のために龍谷大に向かう予定だった日の朝.
昼前に出発するつもりで朝寝坊していたところ,突き上げるような強烈な揺れに襲われた.いわゆる大阪府北部地震.震度5強くらいの揺れだったのかな.
大阪市内に住む恋人からすぐに電話がきて,大阪市内より豊中市の方が揺れが大きいことを聞いたので,上町断層ではなく有馬高槻構造線による直下型を疑う.
ヒーターを高温測定を数日連続で行っていたので,研究室に走って装置を停止.
低層階だったためか,棚の器具が倒れたくらいの被害で済んだ.
測定の計画や非常勤の授業にズレが生じた.
あと,地震以来しばらくは睡眠中にわずかな物音でも飛び起きてしまうようになって,精神的にきつかった.
7月
休講した分の補講や,追加実験に追われた.
イベントとしては,河合塾福岡校で行われた,大阪大学ミニ・オープンキャンパス講師.
ラボの主力装置のひとつ,携帯可視分光測色計を使った肌の色測定を行った.
手をたたく,腕を振って手に血を集める,エタノールを塗るなどして,誰が一番肌色が赤くなるかの仮説検証を実演し,受験生らの質問などにも答えた.
ついでに山口の実家に立ち寄った.
8月
夏休みを少しもらって,北海道でバイク旅をした.
月末には,黄鉄鉱を拾いに奈良の山奥へ.
上に集めてる金色の粒が黄鉄鉱.愚者の黄金とはよく言ったものだ.
9月
台風直撃で関空が使えなくなる.
温泉に関する本の執筆のために,大阪府能勢町の「汐の湯温泉」へ.
源泉はおそらく二価鉄イオンでうっすら緑がかっているが,加温した温泉には三価の鉄水酸化物沈殿が.詳しくは本が出たとき書きます.
鉄水酸化物沈殿
国際腐植物質学会の出張の出発日,関空が奇跡的に再開.無事,シンガポール経由で友人の待つオランダまで行くことができた.そこから,飛行機をさらに2つ乗り継いでやっとこさブルガリア・ヴァルナ空港へ.
人生初の海外出張・ヨーロッパ・口頭発表・しかも英語.
良い経験になった.
10月
初旬,趣味でやってる合唱の関西コンクールを,自分の入団いらい初めて突破し,全国大会出場が決まった.
中旬に東京で友人の結婚式.
大阪に戻って,すぐにフランスへ出張.2つ目の国際学会口頭発表.
こちらは9月の学会よりも自分の研究に深く関わっていて,人脈を広げることができた有意義な学会だった.
実はその学会のメンバーらが中心となって分光系のジャーナルの特集号を組むことになっており,ぜひ投稿してほしいとのお墨付きを得た.帰国後,さっそく原稿を書き始める.
小規模なワークショップだったので,会場はこんな一軒家だった
11月
コンクールとは別のイベントで,合唱団として東京へ.このころから,8月以降の遠出続きの疲れが出始める.
その翌週,また東京へ出張し,フランスの学会で知り合った日本の先生と研究打ち合わせ,そして日本腐植物質学会でのポスター発表.なんとそこでポスター発表章をもらった!
直後に,合唱コンクール全国大会のため札幌へ.初めての全国の舞台と,アフターの札幌観光を楽しんだ.
さらにその直後,再び東京へ.学振PDは面接候補になったから.学振PD申請関係の顛末もまたまとめておかなければ…
12月
秋頃から始めていた博士論文執筆を急加速.秋の国際学会に向けて取り組んでいた内容は博士論文に加えないことになったので,少し余裕が出た.
1月
博士論文予備審査.地獄の日々だったが,2回友人の結婚式に呼ばれていたので,なんとか幸せのおすそ分けで精神を保った.
2月
博士論文公聴会.いまでも思い出すと胃が痛くなる.
それでも,支えてくれた先生方,お忙しい中時間を割いて審査に当たってくれた先生方のおかげで,博士号の授与が決定.この場で失礼ながら,感謝申し上げたい.
博論疲れの慰安旅行で和歌山の温泉へ.そののち,研究室の卒業旅行で石垣島へ.これもまた最高の思い出となった.
3月
フランスから帰りの飛行機でたまたま隣に座った高知大学の先生と知り合い,高知でミニワークショップを開いていただいた.
厳しい指摘も含めて,たいへん勉強になる出張であった.
学振は面接まで行って補欠になっていたのだが,結果不採用.こんな後半まで引っ張って捨てられるとは.学生を振り回す,略して学振.それでもありがたいことにDC2がもう1年分使えるので,なんとか生活はできそう.
無事学位授与して2018年度は終了.移動の多い一年であった.