研究

ウォール・インパクトファクター

年末に,筆頭・責任著者の論文がひとつアクセプトされた.

Nakaya, Y., Tomita, A. and Yamamura, H. (2024)
Solid-phase fluorescence: Reproducibility and comparison with the solution states
Talanta, 270, 125566. doi: 10.1016/j.talanta.2023.125566

長らくお世話になっている中央大学のグループとの共同研究で,Solid-phase Fluorescence(SPF)という,NOM分析の分野ではふつう溶液の試料に対して使われる蛍光分光法を,土壌や堆積物,水処理膜の表面などの有機物の直接(固相での)分析に利用しようという研究を進めている.

今回,その成果の一つが論文になったわけだが,共著の学生と先生のおかげで,今回「ずっと意識していたある目標」を達成することができた.

優秀なエリート研究者の読者諸兄には「え?目標って,たったそれだけのこと?」と思われるかもしれないが,ご容赦いただきたい…

 

その目標とは,筆頭or責任著者としてインパクトファクター5以上の国際論文誌に掲載されることである.

これまでに,筆頭or責任著者として9報ほど国際論文誌で発表してきたが,いずれもインパクトファクターは5以下であった.

もちろん,最初は地球科学分野にいたのでGeochimica et Cosmochimica ActaなどのIF5を超えていた論文誌に挑戦してはエディターキックを食らい,紆余曲折を経てなんとかIF5未満の論文誌での受理にこぎつけた感じである.

老舗論文誌で,かつインパクトファクターが大きいほど,当然ながら論文誌の格も高く,査読に回してもらうに足る頑丈な新規性や有用性を有していなければならない.

編集者による当たりはずれもあるが,これまでの論文はいずれもIFに裏付けられる論文の格としてはIF5以上のところは不適格だったということだと思う.

ただ,インパクトファクターという概念そのものに対する批判は昔からある.研究分野の抱える人口によってその分野の論文誌の平均的なIFが大きく異なるため,IFだけで平等に業績を評価できるかわからない.

今やインターネットの力により個々の論文の引用数が追跡できる時代になったので,論文誌全体の数値であるIFには何の意味があるのか,という話にもなってきた.

経験上,研究教育職の公募書類でも,業績欄の論文誌のところに最新のIFを記載するように指示するものもあれば,Web of Scienceなどで調べた個々の業績の引用数を記載することとするものもあった.

とにかく,研究者の評価に効いてくる要素は,単純な論文の数だけでなく,論文を出した先のIFや,その論文そのものの引用数も含まれるということだ.

また,「論文数」「掲載先IF」「引用数」のうちどれが重要な要素になるかは,キャリアパスの段階によっても異なる.

例えば,学振DC1を獲得したい修士学生だったら,「論文数」がゼロかイチではかなり大きな差になるので,掲載先のIFとか,引用されるかとかにこだわっている場合ではない(実際は,引用に足る内容でないとどんな投稿先にも弾かれてしまうが).IF1でも2でもいいから「早くだせ」だ.ASAP!

学振PDやポスドクの応募くらいの段階だと思うが,筆頭or責任著者の論文数が1桁台での勝負になってくると,数が効く場合もあれば,IFが効く場合も出てくる.

教授クラスになってくると,たぶん引用数が大事になってくるのではないかと推察する.

そういうわけで,私も,数重視の段階から,今まさにインパクトファクター重視の段階に移りつつあるため,掲載先のIFを踏まえた投稿先選びや,その論文誌の読者を意識した書きっぷりが大事になってくる.

かくして,学振DCと縁がなくなってきたころ(博士課程終盤以降)からは,自分のいる分野での様々な論文誌のレベルや自らの研究のインパクトを勘案してIF5以上を一つの目標として研究をしてきた.

今回,投稿時点でのIFが6.1だったTalantaに掲載されたわけだが,これは当然ながらまずもってEditorとReviewerがたっぷり時間を割いて原稿を検討してくださったおかげである.

加えて,意味があったか分からないが,自分もそれなりに今回の発表内容の分野の研究が論文誌の中でどれくらい出ていて,どのくらい考察に踏み込んだものが掲載されているのかをしっかりサーベイして原稿に取り組んだ.

また,査読コメントへの対応を結構頑張って,それが2回目の査読結果で好意的に受け取ってもらえたのも良かったかもしれない.
具体的には,2回目の査読コメントで,日本語訳すると下記のようなことが書かれていた.

私は、この改訂と3人の査読者全員への回答を検討したが、この改訂は、コメント、要求された変更、および改訂を評価する際の査読者への支援に注意を払いながら、改訂がどのように行われるべきかの優れた例であることを認めるべきである。

これはすごく嬉しかった.査読対応の手法は大学院生時代に師匠から教わったものであるが,親元を離れて自力で査読対応をして,このコメントを貰えたのは自信につながった.

こういう努力の甲斐あって,なんとか査読プロセスを突破し受理にこぎつけることができた.

私にとってIF5というのは目標であり壁であり,当たり前のようにその壁の向こう側に居られる人間ではなかったが,今回やっとそこに到達したのである.

 

ところで,「進撃の巨人」という作品では,人類の活動領域が長大な円周状の壁(ウォール・マリア)の内側に制限されているが,その内部領域もウォール・ローゼ,ウォール・シーナという円形の壁により仕切られ,内側に行くほど階級が高い(外側ほど危険なため)という世界観が示されている.登場人物たちの中には,もっとも内側の安全な領域での生活を夢見て奮闘する者もいる.

インパクトファクターと研究者の関係性を,「進撃の巨人」における壁と人類におきかえてみると,やはりIFの壁を越えて,内側まで上り詰めることが研究人生の目標になっても不思議ではない.

しかし,主人公が憧れを抱く調査兵団は,壁の中の民衆から嘲笑を受けながらも壁の外の世界を求め,命を懸けた壁外調査に出かけていく.

研究者の本懐は,新しいアイデアや知識を世に問うことであり,そのために根拠となるデータを必死で集めている.論文誌のインパクトに頼らずとも検索で論文に直接アクセスされることが主流になりつつある今,研究者は「本当に自由な研究」への入り口に立っているのかもしれない.本当に自由な研究とは,インパクトファクターや論文誌の格に囚われることのない世界である.

当然,インパクトファクター世界であるからこそ,研究クオリティや業績評価の客観性が担保されている面もあり,私も当分この世界で生きていくつもりだ.

しかし,誰もが分かりやすい出世レースに乗っかっていくなか,嘲笑を受けながらも科学の自由さを求めて逆方向の戦いに身を投じるのも,なかなか刺激的な研究人生と言えるのではなかろうか.

そして,その進撃はいつしか世界の在り方そのものを変える.くだらないと思われていた研究が,ずっと先の未来で花開くこともある.

だから,自分の感性を信じて,誠実な科学を貫き通すことだ.

「心臓を捧げよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ま,インパクトファクター10くらい軽く超えてから言えって話ですけどね.